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「私」をめぐる冒険 その2 

「私」をめぐる冒険 その2 

CUREとCAREについての考察

引き続き 「私」をめぐる冒険 からの話題です。内容的には大変示唆に富んだ書籍であることには変わりがないのですが、吟味が必要な部分もいくつか感じられました。

著者は自閉症について、「本人が楽になることと、周りの人間が楽になることは違うと」述べるとともに、「本来、器質的な障害がある人をCURE(治療)するということがありえるのか」と疑問を投げかけています。
「CURE(治療)という土俵に乗せる発想は、治す側の世界にのならければ生きてはいけない。スタンダードに近づかせる発想にとどまっていて、ハンデを含んだ人生が捨像されていく。」とある意味極端ともとれる見解を展開しています。

たしかに、CUREやCAREの方法が、本人の意思や状態を無視した形での単なる「社会適応」のための訓練であれば、それは当然批判されるべきものですが、現在の自閉症をめぐるCUREやCAREの思想にはそのような次元の低いものはなくなってきているといえます。

「まず、子どもに対するゆったりとした肯定があり、その上で楽になる方法があれば、一緒に探したい」というスタンスについては著者も肯定しています。

その上で「CUREを目指すことがそのまま相手を否定することにつながることもあれば、断念することが関係の回復に直結することもある。」と目が回るような論理展開もあります。このスピード感で「目の前に高すぎる不可視のハードルがあるときには、断念しなければ、相手を肯定したり、相手の居場所を認めたりすることができない。」とまで述べています。

言い換えるとするならば、このことは「子ども本位への発想の転換」の必要性を述べていると読み取れます。実際に子どもに関わるときに大人側の都合や論理を排除することは大変重要なことです。常に自らの実践を振り返り、ゼロからひとつずつプラスしていく教師でありたいと思いました。

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