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「図と地」について

特別支援教育や自閉症スペクトラムについての講演会や研修会でよく紹介される、「図と地」についてです。

よく研修会などでは、有名な「ルビンの盃」や「若い女性=老女」を紹介して見方によって違うものに見えることが紹介されたり、太字で用紙いっぱいに書かれたアルファベットなどを見せて「なにか判りますか」と聞かれたりすることがあります。
確かに、見方によって違うものに見えたり、「図」と「地」が逆転することによって意味が生じるということはよくわかります。
しかし、それが発達障害児や自閉症スペクトラム児の理解や療育にどのように関係していて、どのように取り組みに活かせばいいのかは説明不足のことが多かったように思います。このブログにも「図と地」の検索ワードで訪問していただいている方もみえるので、私なりの解釈を以下にまとめます。

熱心に何かに集中しているときに誰かが名前を呼ばれても、その声が普段なら聞こえるのに聞こえないということを経験した人は多いと思います。また、なにか小さいけれど心地悪い音がどこからか聞こえてそれが気になって物事に集中できなかった経験もあると思います。
前者の場合は、普段なら「図」である呼びかけの声が、関心の強い他の事に集中していることで「地」になる。後者の場合は、「地」になりそうな小さい音も心地悪いということで「図」になるということです。

本人にとって「意味」のあるものは「図」になり、「意味」のないものは「地」になります。

自閉症スペクトラムのお子さんの場合、なにか興味のある活動=「意味」のある活動をしているときにはそれが強力な「図」になります。その子にとっての「意味」があることが少なければ少ないほど、より強烈な「図」になるといえます。「こだわり」とよばれる行動はそのようにとらえることができるといえます。

逆に、何らかの刺激が大変いやなものであるときは、それが「図」となります。視覚刺激の場合は目をそらすことでその「図」を回避できますが。聴覚刺激はそう簡単にはいきません。聞かないでおこうとしても聞こえてきます。これはすべての人に共通していることです。聞きたくないものが聞こえてくるとき、どうしするでしょう。耳を押さえる。大きな声をあげる。その場から離れる。これらの行動を「問題行動」や「逸脱行動」と呼んでいることはないでしょうか。
触覚刺激が敏感なお子さんの場合、友だちがいきなり近づいて肩に手をかけたり、手をつないできたら、どうするでしょう・・・

行動の原因をその子なりの「図と地」に分けて分析することによって、理解が深まると思います。そして、その子にとってどのような環境が最も適切なのかを考えてみるときの参考にしていただきたいと思います。

お子さん一人一人の「意味」あることにより添える理解者であってほしいと思います。


「通常学級における特別支援」のカテゴリーでも別のアプローチで「図と地」について記事を書く予定です。

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自閉症スペクトラム児の療育・教育」カテゴリの記事

コメント

とてもいい考察ですね。
興味深く読ませていただきました。

ASDの人は、複数の情報に同時に注意を向けたり、関連づけることが困難なので、どれが今必要で、注目すべき情報なのかがわからない、結果として、焦点が当たる狭い部分を頼りに行動しているように感じられます。

また、興味の持ち方は、広く・浅くではなく、狭く・深くであることがほとんどでしょう。
興味、関心のあることがとても少ない、限られているし、興味のないことはやろうとしないので、
その子への理解を深め、学習効果を上げるためにも、行動の原因をその子なりの「図と地」に分けて分析するのは、とてもよいことだと思います。

そうせざるを得ないというようなdriven behaviorにも、その子なりの意味があるのでしょうね!
ですから、意味がない困ったこととして、否定したり、取り上げることのないようにしてあげて欲しいなと思います。


投稿: eru | 2009年2月 5日 (木) 16時33分

eruさんコメントありがとうございます。
私もeruさんのおっしゃる通りだと思います。

教育現場では、「情緒が不安定だから・・・」などと
支援の方向性さえ見えない訳の分からない理由を付けて、
「パニック」や「常同行動」などを問題行動扱いしていることが多いように思います。
まずは環境調整を第一に取り組みたいものですね。
そして、次に本人にとって何が大切なことで、何がどうでもいいことなのかを適切に判断できるようになれればと考えています。

投稿: BOGEY | 2009年2月 5日 (木) 19時19分

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