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「本来の特性」

私と同じように巡回訪問をしている中学校の先生が、「中学校に入ってくるときにすでに二次障害がバンバンの子がいる。」という話をされて、とても違和感をおぼえたことがありました。
その話しぶりに「本来の特性」は仕方がないが、「二次障害」はそれまでの園や学校、家庭などの責任だというようなニュワンスを感じたからです。
また、子どもの今の姿のどこまでが「本来の特性」でどこからが「二次障害」であるかを見分けることがそんなに簡単にできるとも思えませんでした。
今の子どもの姿を正確にとらえるためには、それまでの発達の過程や生活歴をきちんとおさえておくことが必要だと思います。どのような支援が行われていたのかも引き継がれるべきですし、家庭での対応についても知ることは参考になります。それらのなかで、適切な対応が行われなかったことも明らかになるかもしれません。
しかし、子どもの今の姿はそのような様々な働きかけや子ども自身の発達の総和としてマイナス面も含めて考慮に入れ、これからの支援の方向性を明らかにしていくことこそが大切だといえます。
今後「二次障害」を引き起こすことのないような配慮のある取り組みとはどんなものかを考えていくことが優先されるべきだと思います。

「おだやかに」日々を過ごすことが難しいお子さんたちにどのような支援が必要かを「二次障害」と「環境」の二つの側面から考えていきたいと思っています。


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コメント

こんばんは、ご無沙汰しています。
二次障害、言葉が一人歩きしはじめていると思います。こどもの状態像を誰かのせいにするための
言葉になりつつあり、危険だと感じています。
先日、ご紹介くださった本の中で著者の斉藤先生が、特性を持ったこどもたちが適応しよう格闘した傷跡だと捉えてケアしていこうという表現をされていたのが印象的でした。
青年期~の支援者はいろんなことを手前の支援のせいにしたくなる性分があるようですが、それは違う。その場その時の文脈、家族の気持ち、支援の状況はいろいろで結果をみて、どうしてやってこなかったというのは早計だと思うのです。
出会ったときの状況で受け止め、できる支援をしていく。二次障害は「二次障害を防ぐ」という簡単な言い回しで表現できるものではないと私も感じています。
すいません、長いですね。

投稿: Tom | 2009年12月24日 (木) 19時03分

Tomさん、いつもありがとうございます。
同感です。
特性をもったお子さんがどのように「環境」と関わってきたのか、「環境」からの作用をどうとらえ、どう行動してきたのかをきちんと分析する必要があると思います。(もちろんこの「環境」の中に家庭や学校も入ります。)
そして、今後の支援を見定めていく。
やるべきことをきちんとやる。これしかありませんものね。

投稿: BOGEY | 2009年12月25日 (金) 21時54分

それまでの発達の過程や生活歴をきちんとおさえておく
これが一番難しいです^^;
正しい情報をどこまで集められるか!

すべてを生まれ持った障害のせいだとして、幼児療育を放棄した人たちに言われると悩みますよ

投稿: 猫 | 2010年7月13日 (火) 09時00分

猫さんはじめまして。コメントありがとうございます。

確かな情報が集められない状況の時は私はできるだけ、「子どもの今」に寄り添えるような支援の方法を考えます。

幼児教育の重要性は広まっていると思っていましたが、そうでもないんですねえ・・・

投稿: BOGEY | 2010年7月13日 (火) 20時55分

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