« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

「支援力」養成講座 その2 教師のスタンス(2) 

その2 「教師のスタンス」について。(その2)

生活指導や学級集団作りにおいて、教師が「最も困難な」子どもたちの立場に立つということについて考えていきます。

ある退職したベテランの先生からお聞きしたお話です。
退職後、非常勤講師として少人数授業の担当になった時のことだそうです。小学校4年生の算数の時間に学習面でも生活面でも課題を抱えているAさんに寄り添って授業を進めていると、クラスのリーダー格の子どもが「先生、なんでAに教えるの?Aは誰かが手伝ってもらうとがんばらへんから、そんなに優しく教えたらあかんのやで。」ときつい口調でいったそうです。
どうもその学級の担任はできないのは「本人が悪いから、本人の努力が足りないから」と常々Aさんをみんなの前で叱っているらしいのです。
毎日の学級での教師の困難な子どもたちに対する「態度」は、如実に子どもたちに反映します。つまり「後ろ姿」を見て学んでいるのです。残念ながら小学校では「反面教師」にすらならないのです。
「助け合う」とか「支え合う」とか「学び合う」等という言葉はどこの学校の教育目標にもある言葉ですが、「個別主義」「能力主義」が効率的な教育であると未だに信じている教師も残念ながらいます。

また、「子どもたちのことは子どもたちで解決させる」と豪語して、教師の代わりに子どもたち同士で注意し合ったり、批判し合わせたりしている教師に出会ったこともあります。そのクラスの子どもたちは「問題」がある子どもを注意することがさも「正義」であるかのようにいつも同じ子に「○○そんなことしたらあかん!」ときつい言葉を投げつけます。でも、仲間内の不正には何も言わないでいることに担任は気づいていないのです。その子をどんどん追い込んでいるのが自分であり自分のクラスであることに気づいていないのです。
このように「自主・自律」を大きく勘違いしている教師も残念ながらいます。

「いじめ」を助長していることにすら気づかない担任に同僚としては言いにくいようなことも、巡回訪問している立場の人間なら指摘することができます。そこで教師の「気づき」が生まれれば子どもたちが救われます。(ごめんなさい、これは本論とは違いますね。)
勢い余ってここまて書きましたが、これも現実です。
ただ、捨てたもんでもないのが学校現場です。とても素敵な「スタンス」の先生もたくさんいます。

そのあたりは、この次に・・・


ブログランキングに参加しています。病み上がりのせいかアグレッシブすぎたかなあ~(-_-;) でもワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

 


| | コメント (2) | トラックバック (0)

「支援力」養成講座 その2 教師のスタンス(1) 

その2 「教師のスタンス」についてです。

これまで子どもへの信頼と保護者への信頼について述べてきました。この2つの信頼をベースに、教師がどんな立場に立つのかという「スタンス」の問題について述べます。

学習指導を例にとることにします。
算数の新しい単元を始めるにあたって、教師はクラスのどの子をイメージしながら指導計画を作るのでしょう。
一部の「上位」グループの子たちのための指導計画を用意する教師はほとんどいないと思いますが、逆に最も算数の苦手な数名の子どもをイメージして指導計画を考える教師も多くはないと思います。
多くの教師は平均的な子どものための指導計画を作成して、苦手な子どもたちのための特別な手立てを別に用意します。その特別な手立てとしては「個別指導」や「グループ学習」などがあります。
このやり方、特に問題がないかのように見えますが、結果的には「積み残し」や「落ちこぼし」を増やしていくことにつながっているのです。
平均的な子どもたちのための指導は当然平均以下(半数)の子たちには別の手立てがなければ習得できないことになります。つまり最も不得意な子たちへの支援だけでは不十分なのです。
教師が算数が最も苦手な数名の児童をイメージして学習計画立て実践した場合、1時間で扱う問題数は少なくなり、問題自体の難易度も当然低いものになりますが、指導内容は大変わかりやすいものになります。このため理解は全体のものになりやすく。単元での基本的な内容の定着率も上がります。

「最も困難な」子どもたちをターゲットにした指導計画はそれ以外の子たちにとっても大変わかりやすいものになることは当然です。これは「特別ではない支援教育」や「ユニバーサル教育」などと呼ばれている「教育」の考え方と同じです。

教師が「最も困難な」子どもたちの立場に立つことができた時、学習指導はいうまでもなく、生活指導や学級集団作りにおいても大きな成果を上げることができると考えています。

具体的には・・・次回に続きます

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「支援力」養成講座 その1 子ども・保護者への信頼(2) 

その1 「子ども・保護者への信頼」続きです。

保護者との信頼関係を作ること。保護者に信頼されることはもちろん必要ですが、それだけではなく互いに尊重し合えるような関係を作っていくことが大切です。さらにいえばすべての保護者を信頼していくことを心がけたいと思います。保護者の立場を理解し、家庭での子育ての「大変さ」に寄り添える教師でありたいものです。

教師が学校で直面している「困難」を家庭や保護者のせいにしていることがあります。
「親が子どもの特性を理解していないから・・・」「養育態度が厳しい(甘い)から・・・」などと子どもの行動の原因がさも保護者にあるかのような言い方をする教師は少なくありません。こうすることで自らの責任を逃れようとしているように思えます。これではプロ失格です。

生活指導や学習指導が困難な状況であればある程、保護者との連携を図り家庭と学校が共同して子どもに働きかけることが大切になります。
教師と保護者が共通の認識を持つためには、子どもの「可能性」を双方が信じてあげること、そしてそれぞれがすぐにできることから取り組んでいくことが大切です。
ただ、家庭での取り組みが難しい場合もあります。家庭での今までの生活で習慣化していることを簡単に変更することはできません。教師からすると簡単そうに思える取り組みも、家庭ではとても難しいということもたくさんあります。そんな場合でも家庭のせいにしないで、学校だけでも取り組んでいくという姿勢が大切です。互いの信頼関係があれば、どちらかが先んじてもさほど問題になることはないのです。

保護者の日々の子育ての「大変さ」を認め、ねぎらうことができる。感謝することができる教師でありたいものです。

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「支援力」養成講座 その1 子ども・保護者への信頼(1)

通常学級担任の先生の「支援力」を一層高めてるために大切なことは何かを考えていきます。

その1 子ども・保護者への信頼(「~からの」ではなく「~への」です)

発達心理学を学び始めた学生時代。ピアジェ、ワロン、エリコニンやビゴツキーを学びながら発達保障理論の言う「無限の発達の可能性」について随分仲間同士で議論したことがあります。漸次的であっても臨界がない状態を「無限」ととらえれば、発達の可能性も支援の可能性も「無限」であるという考え方です。
これは発達心理学の範疇が老齢期までをも含めた生涯発達であることも、このことと繋がります。

子どもを「無限の発達の可能性」を持った存在としてとらえるところから本当の「支援」ははじまるといえると考えます。つまりどの子の「無限の可能性」も肯定するということです。
自分が担任する学級で「困った行動」をする子どもを「困った子」としてとらえるのではなく、最も「困っている子」であり、大きな発達の可能性をもった子であること、だからこそ「オーダーメイドの支援」が必要であるととらえること。これらが重要なのです。

「この子がいるから大変なんだ」と考えるところからは支援は生まれません。「この子がいたから、まわりも教師も一緒に成長できた」と学年末に思えるような支援を積み重ねる教師で有りたいものです。
子どもとその発達の可能性を信じること。まずはそこからスタートしたいものです。

「保護者への信頼」については次の機会に・・・

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小さな恋のメロディ

それぞれが違った理由で交流学級での授業に参加していないAさんとBくんがいます。

支援学級でいつもは違った勉強をしている二人ですが、ときどきC先生はこの二人とトランプをしたりブロックで遊んだりします。
AさんもBくんもとても楽しそうです。
日本語がまだ十分に話せないBくん、いつもよりずっとたくさんしゃべっています。
「選択性緘黙」といわれているAさん、今まで聞いたことのない大きな声で笑っています。

C先生は二人が並んで勉強をする時間を作りました。
AさんはBくんが「あいうえお」の勉強をしている様子を暖かく見守りながら、小数の計算をしています。
Bくんは「がんばっている自分」をアピールするようかのようにがんばっています。

C先生はこんな二人を見ながら、
「あなたがいるからがんばれる」関係ってとってもいいなあ~と思いました。

(一応これはフィクションですww)

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ


| | コメント (0) | トラックバック (0)

「自分を外から見る」

自分の言動を客観的に観ることができないお子さんが増加しているように感じています。

自分は他の子に手を出したり、ひどいことばをかけることがあっても、自分にそのようなことがあるとパニックになったりひどく怒ったりするお子さんや、みんなが静かにしている時に1人だけ大声をだして自分のことを話そうとしているお子さんなどです。
周囲からは「自己中」で「わがまま」と受け止められがちなお子さんたちです。
このようなお子さんたちにはまず、どのようなことで「しんどい」思いをしているのかをアセスメントし理解してあげること、そしてその子に応じた教室内の環境調整や学習指導での配慮がまず必要です。

その上で、「自分を外から見る」経験をさせてあげることが大切だと考えています。

ある先生は、みんなが静かに学習に取り組んでいる時に騒いでいたお子さんを、叱るのではなく先生のいる教室の前に呼んで、そこからからクラスのみんなの様子を見させることで「気づかせよう」としているとのことでした。
友だちとのトラブルが絶えない子についても、他の子ども同士のトラブルについてそれぞれの子がどんな思いであったのかを考えさせる経験を通して、自分の言動を振り返ることが徐々にできるようになってきたという実践もあります。
コミック会話(簡単なマンガと吹き出し)で、双方の気持ちを書き込んで客観的な位置から振り返ることで以前よりもトラブルが少なくなった子もいます。
自閉症関係の学会ではSSTの自らの様子をVTRで見せることが一番いいと話していた専門家もいました。

「自分を外から見る」力は短期間の取り組みで身に付くものではなく、息の長い取り組みの中で徐々に付いていくものだと思います。できるだけ「自分を外から見る」経験を多くさせてあげたいとお見ます。
そして、以前の姿と比べて進歩・成長したところを具体的に子どもに示して褒めてあげることもとても大切だと思っています。


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「大なわとび」その後

前回の記事の後日談です。

大なわとび大会の当日、
「何回飛べるかなぁ。みんながんばろうね。」という先生の声掛けに、
「何、言っとんの、先生。みんながんばっとるしみんなで飛ぶってのが楽しいんやで、何回でもええやん。」
との声が子どもからあがったということでした。
子どもたちは担任の先生が設けてくれた話し合いの時間でいろんなことを考え、確かな答えを見つけてくれたようです。

また、前回の記事へのtomさんのコメントを読んでもらってこんなメールをいただきました。

「コメント、見せていただきました。
その通りだと思います。
間違っていると教えることはとても大事なことですよね。
躊躇したわけじゃなく、今のあの子にそれだけを伝えるのでは、
ただ、私の前で言ったらいけないことば、くらいにしか思えない
んじゃないかなという恐れがあったからですけれど、
でも、立場をかえてみれば、
なんで、ここで、正しいことを教えないんだろうになりますね。
勉強になりました。
ことばを発した子には、この話し合いのあと、個人的に話をし
ました。
「ことばの暴力だよ」という言い方はできませんが、それを聴い
たとき、私がとても悲しかったこと、
話し合いの中に、「言われたら悲しくて、腹がたつ」と言ってた
子がいたこと、
「Aちゃんは、どんな気持ちになるかな・・・」ということなど・・・
 (略)」

 発言があったお子さんのお母さんからは「自分の息子が、そういったことを言ったことを悲しく思い、一緒に、考え合った。」とのお手紙をいただいたとのことでした。

子どもも親も教師も色々な出来事を通して常に学び続けていくのだと思います。
見過ごすことなく、間違いを正しながら、その経験を糧にして、さらに前を向いて進めるように支援していくことは私たちの責任だと改めて思いました。

tomさん、M先生、今回はありがとうございました。


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

おたより帳

トイレットトレーニングのすすんでいるBさんのおたより帳に、
「3日間一度もおむつでしませんでした。急展開に驚いています。」と書いていただいていました。
2学期後半から徐々に学校ではトイレでできるようになり、お家でも最近何回かトイレですることができていたのですが、この3連休の間にお家でもしっかりと習慣化できたようです。
このおたよりを読んで本当にうれしかったです。そして、支援員さんたちも自分のことのように喜んでくれていました。

「私たちがしていることは、本人のこれからの生活に役立つこと、おうちの人が『楽になる』ことでなければ意味がない。」といつも思っています。(「楽になる」とは「本人の自立につながる」という意味です。)

さて、あと残すところ20数日。次の取り組みにつながる「助走」を始めていくことにします。


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「大なわとび」と「共生教育」

私がとても信頼し尊敬している元同僚からこんなメールをもらいました。

今、来週にある縄跳び集会のために、大縄の練習をしています。
水曜日には、2年生のあるクラスを抜く記録が出て、大喜びしてたんですが、
このとき、ある子が
「Aちゃん(支援学級在籍の男の子)がおらんかったで、65回跳べたんやんな」って言ったそうです。
そんなとらえ方をするのかぁと、凹みつつ、これは、ある意味いい機会かと、話し合いをしました。
1年生なりにいろいろ考えるもんです。
「できやんけど、あきめたら、それでおしまいやから、がんばるんやん。」
「みんながおるから、がんばろって思えるんやで。」
「できる、できやんは、みんな違ってるにきまってるやん。」
「失敗は、したらしただけ、考えれるから、お得って思うわ。」
「応援してもらって、もしかしたら、できるかもって思えた。」
「できやんけど、がんばとんのに、そんなふうに言われたら、はらがたつ。」
などなど・・・
胸を打たれるようなことばもたくさん出てました。
けど、この日、欠席してたのは、Aちゃんだけでなく、他にも縄跳びが極端に苦手な子もいたんです。
なのに、Aちゃん・・・と言う部分を切り込むまでにはいけませんでした。
さて、どうしていこう・・・てなところです。 (以下略)

ひとりひとりの子どもを大切にしながら、子どもたちの立場に立って学級づくりをしてきた担任の先生です。だから彼女はこのようなチャンスを見過ごさずに子どもたちに返していけるのだと思いました。
子どもたちのそれぞれの成長も、発言の中からたくさん見えてきます。

学校教育の中で何の疑問もなく行われている個人間や集団間の「競争」は、「違いを認め合う共生教育」と相いれない部分がでてくるのは当然かもしれません。先生の中には「勝つ」ために「能力差」でチーム分けをしている人もいます。
何のための学校教育としての「活動・取り組み」なのかを振り返ってみることが大切なのかもしれません。
「価値基準」をどこに置くかということを明らかにしながら、違いを認め合うこと。互いの成長を認めあえること。励まし合い・支え合えること。これらのことを大切にしていければと思います。


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ


| | コメント (4) | トラックバック (0)

ポルトガル語のお勉強

ブラジル国籍のAさんと初めてのポルトガル語のお勉強

ABC(アー・ベー・セー)や簡単な単語の確認から始めます。
やはり絵カードを見て単語を言うことはできても、文字を読むことはできませんでした。
ABCも私の後なら唱えられても1人では言えません。
できるだけ簡単なできることから取り組んでいきました。
単語の発音を教えてくれるのはAさんの方です。
そうこうしていると、いつもならたどたどしい日本語で私に話しかけるAさんが、流暢なポルトガル語で私に話しかけてきます・・・

「ごめんね、先生の方がもっと勉強しなくちゃね!」

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ


| | コメント (2) | トラックバック (0)

遅すぎるということはない

月に一回巡回訪問で学校を訪れる、適応(日本語)指導の先生とお話をしました。
「ダブルリミテッド」のお子さんについてのことです。
「ここ(日本の特別支援学級)には、日本語を教える手立てはたくさんあるが、外国語を教えるノウハウはない。このため、子どもが母国語を習得するための支援は期待できない。また、母国語の獲得が十分でない状態で日本語の詰め込みをしても効果が期待できない。であれば数の概念や計算をきちんと指導していくことが一番その子のためになるのではないか。」という意見です。
なるほどその通りですが、ここでそんなに割り切った考え方ができないのが私たち日本の教師です。
今年度はあと30日しか残っていません。しかし今から再スタートをすることは次の学年での取り組みをより実りの多いものにすることにつながるとも言えます。

放課後職員室のパソコンでポルトガル語教材のサイトを見つけてたくさんプリントをしました。
このプリントなら宿題としておうちに持って帰っても親ごさんと一緒に取り組めそうです。

「もっと早く気がつき取り組むべきだった」と反省しつつも「いつだって遅すぎるということはない」とポジティブに明日からの取り組みをスタートします。

子どもにも大人にも「臨界期」なんてないのかもしれません。

参考にしたサイトはここ
http://www5d.biglobe.ne.jp/~grupoabc/microsoft/intro/download00.htm
http://www5d.biglobe.ne.jp/~jikanwar/nihongokyozai/nihongokyozai.html

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

クワッドリフトにて

今日は完全オフ日ww。でスノーボードに行きました。

最近、いろんな国の人と話す機会が多かったからか、こちらから気軽に話しかけることもあります。
全長5kmのロングコースの山頂にむかうクワッドリフトでお隣に座った日本在住のロシアの方と英語で話しました。
最近気になっている「母語」についての話を自然と振ってしまいます。
彼女の2歳のお子さんはロシア語を母語にしつつ英語も話せるバイリンガルであるとのことでした。来年は日本の幼稚園に通わせるそうです。「母語」のロシア語がしっかりしていればOKなのだと彼女は話していました。
彼女はブラジル籍のお子さんにも英語を教える機会があるとのことでしたが、その子たちの言語的な課題についてまで聞く時間はさすがにありませんでした。

「マザータング」(母国語)がとても大切なことは確かなです。きちんと獲得できるような支援をしなければと思いました。
もうひとつ・・・
自閉症スペクトラムのお子さんにとっての「マザータング」は「視覚支援で補完された日本語」なのかなあと、ふっと思いました。

もちろんオフなので、うんと楽しんだのですが、
これは真面目じゃないほうのブログで・・・

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教育研究集会

民主的な教育団体主催の教育研究集会:特別支援教育分科会に参加しました。

レポートは肢体・知的の重複障害があり母語が外国語のAさん(小学校2年生)についてです。
身辺自立の面でも言語面でも社会性の面でも知的発達や運動機能でも課題山積のお子さんです。就学判定は特別支援学校ですが親ごさんの希望で居住区の小学校の特別支援学級に在籍しています。
それぞれの課題に対してきちんとアセスメントを行って必要なサポートをしていくノウハウは小学校の特別支援学級には残念ながらありません。また、専門機関との連携も充分に取れない家庭状況もあるようです。
そんな中でもレポーターである担任の先生はAさんの小さな成長も見逃さずに日々の支援に取り組んでみえました。

「今後どのような支援ができるのか」ということが話題になりました。
身辺自立のためのトレーニングとことばの学習の見直しが必要であるという話し合いがありました。
食べることや排泄のトレーニング、移動などのための運動訓練を毎日の日課に位置付けることや母語での文字獲得を基礎にしたことばの学習が大切であるという意見です。このあたりのことは一つ前の記事のお子さんととても重なるところがあります。
また、本人が意欲的に取り組むことができる活動を拡げていくことの大切さも出されました。

やっぱり支援者は「スペシャリスト」ではなく「ジェネラリスト」でなければやっていけないなあ・・・と助言者という立場ながら改めて学ぶことができた分科会でした。

親ごさんの思いと支援者の思いが一致しないことも話題にのぼりましたが、私たちが支援しなければならないのは本人だけでなく家族でもあることをしっかりとお話させていただきました。
3時間を越える話し合いもちっとも長く感じられない分科会でした。
長い話し合いを終えた後の参加者の先生方の「笑顔」がとても心強く思えました。


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ


| | コメント (2) | トラックバック (0)

ダブルリミテッド

外国籍のお子さんのケースです。
家庭では日本語の環境はなく、逆に学校では母語でのサポートがほとんどないお子さんです。知的な遅れもみられるためか、単語やひらがなの指導をていねいに重ねていてもほとんど音韻と文字の一致がみられない。日本語での話し言葉の習得も充分でない。母語においても、日常会話には問題がないがアルファベットと発音が結びついていない。という状況のお子さんです。
適応指導のコーディネーターと話をしてみると、「ダブルリミテッド」に該当するのではということでした。言語習得に関しては「臨界期」が8歳であるなどといっている研究者もいるようです。(この「臨界期仮説」については発達心理学全体では否定的な方向に向かっていますが・・・)
また、幼児期の大きな病気による高次脳機能障害が疑われるケースでもあります。
このようなお子さんに対してどのようなアプローチが望ましいのかを指導しながら手探りで探している現状です。母語での支援を強化して、母語からのアプローチを中心に再スタートすることを計画しています。

ダブルリミテッド:多言語を自在に操る「マルチリンガル」の反対語で、母語と外国語のどちらも十分に使えない状態をさす。「セミリンガル」ともいうが、こちらには否定的な意味があるとされ、「ダブル・リミテッド」が使われるようになっている。まだ母語が身についていない幼少期に、外国への移住などの事情によって外国語での生活を余儀なくされた結果、2つの言語のどちらにおいても、年齢相応の発達がみられない現象。たとえば、外国に移住した日本人一家の場合、家庭内では日本語、外では現地語を使うことが多い。その結果、母語(この場合は日本語)が未発達の幼児は、母語と現地語のどちらも習熟せず、文法的な理解ができなかったり、敬語が使えなかったりという状態になる危険があるという。アジア諸国や南米から日本に来た労働移民の子女にもダブル・リミテッドが増えており、日本語が未発達なために学校の授業についていけなくなる例も出ているという。(亀井肇:JapanKnowledge)


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

当事者の方々のための国資格心理士(仮称)について

日本臨床発達心理士会のニュースレターが届きました。

士会の幹事長長崎勤氏はその巻頭言で「当事者の方々のための国資格心理士(仮称)の検討を」と題して、「国資格心理士養成のカリキュラムには発達支援の確かな方法を取得し、当事者の方々にとって有用な専門性を有したカリキュラムが望ましい。」と述べていました。
そして「発達支援の方法として、科学的な発達アセスメントに基づく支援方法の選択というプロセスが不可欠である。」と続けています。

国家資格の近年のごたごたについて私は全く関心はないのですが、この「発達支援の方法」についてはしっかりと押さえておく必要があると思いました。
最近発達検査の依頼を多く受けるようになりました。何のためのアセスメントなのかを依頼者である親ごさんや学校と充分に話し合いながら今後の対応を決めていきたいと考えています。
「適切なアセスメントと支援方法の選択」このあたりを間違えることがないようにしたいと思います。

ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »