« ポルトガル語のお勉強 | トップページ | おたより帳 »

「大なわとび」と「共生教育」

私がとても信頼し尊敬している元同僚からこんなメールをもらいました。

今、来週にある縄跳び集会のために、大縄の練習をしています。
水曜日には、2年生のあるクラスを抜く記録が出て、大喜びしてたんですが、
このとき、ある子が
「Aちゃん(支援学級在籍の男の子)がおらんかったで、65回跳べたんやんな」って言ったそうです。
そんなとらえ方をするのかぁと、凹みつつ、これは、ある意味いい機会かと、話し合いをしました。
1年生なりにいろいろ考えるもんです。
「できやんけど、あきめたら、それでおしまいやから、がんばるんやん。」
「みんながおるから、がんばろって思えるんやで。」
「できる、できやんは、みんな違ってるにきまってるやん。」
「失敗は、したらしただけ、考えれるから、お得って思うわ。」
「応援してもらって、もしかしたら、できるかもって思えた。」
「できやんけど、がんばとんのに、そんなふうに言われたら、はらがたつ。」
などなど・・・
胸を打たれるようなことばもたくさん出てました。
けど、この日、欠席してたのは、Aちゃんだけでなく、他にも縄跳びが極端に苦手な子もいたんです。
なのに、Aちゃん・・・と言う部分を切り込むまでにはいけませんでした。
さて、どうしていこう・・・てなところです。 (以下略)

ひとりひとりの子どもを大切にしながら、子どもたちの立場に立って学級づくりをしてきた担任の先生です。だから彼女はこのようなチャンスを見過ごさずに子どもたちに返していけるのだと思いました。
子どもたちのそれぞれの成長も、発言の中からたくさん見えてきます。

学校教育の中で何の疑問もなく行われている個人間や集団間の「競争」は、「違いを認め合う共生教育」と相いれない部分がでてくるのは当然かもしれません。先生の中には「勝つ」ために「能力差」でチーム分けをしている人もいます。
何のための学校教育としての「活動・取り組み」なのかを振り返ってみることが大切なのかもしれません。
「価値基準」をどこに置くかということを明らかにしながら、違いを認め合うこと。互いの成長を認めあえること。励まし合い・支え合えること。これらのことを大切にしていければと思います。


ブログランキングに参加しています。もっとポジティブになれるので、ワンクリックお願いします。⇒ にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ


|

« ポルトガル語のお勉強 | トップページ | おたより帳 »

通常学級における発達支援」カテゴリの記事

コメント

初めてコメントさせていただきます。
わが子は自閉症で支援学級に在籍してします。
‘ある子‘が気づかないければいけない事は、
その言葉を自分が言われた時のイメージなのでは?!
相手が障害が「ある」とか「ない」とかではなく
その言葉の持つ「暴力」を真摯に教えてあげることが大切なのではないでしょうか?
「遅れている子を、そうとらえているのは当たり前だが、どう指導してていけばいいのだろうか?」
という大人の気持から「そんなこというのは間違ってるよ」という言葉を発するのを躊躇しているように思えました。

「あの子がいなかったらよかった」という発言に対しての言葉は、
「そんなひどいことをいわない。自分が言われたらどんなに悲しいか!」しかないのではないのでしょうか。

その先に・・・
あの子では理解できないとか、立場が違うとかいう問題は出てくるかもしれませんが・・・
まず、自分の発した「言葉」は「暴力」なのだと
知ることがとても大切だと思います。

差別は大人がつっくているのだと思います。

「ちゃんと説明」する事よりも、「すぐに正しい反応」をしてあげてほしいです。

投稿: tom | 2011年2月13日 (日) 23時23分

tomさんはじめまして。コメントありがとうございます。
たくさんの子どもたちと接していると、確かに「暴力」と思えるような心ない「言葉」をなんの躊躇もなく発する子どもに出会うこともあります。
もちろん間違っていることは間違っていると指摘することはあるのですが、できれば自らの気付きによって変わっていって欲しいとも考えています。自らの気付きのない「理解」はその後の「正しい行動」には結びつきにくいという経験則を教師は持っています。
また、その子が「暴力」のような「言葉」を発するようになった背景もみていってあげたいとも思っています。実はその子が置かれている状況に「しんどい」ものを見つけることも多いのです。また、自分に発せられた言葉には敏感なのに自分の発する言葉には鈍感な子どもたちが増えているようにも思います。
「すぐに正しい反応」をすること、これはとても大切なことですね。
ただ、「思っても言葉にしなければいいのだ」というような「理解」は本当の解決にはならないのではないかと思っています。
彼女も私もきっとこれからも迷いながら「どの子も共に支え合うことができるクラス作り」を目指して進んでいくのだと思います。

投稿: BOGEY | 2011年2月13日 (日) 23時44分

そうですね・・・。
言われた子供も傷つきますが、
言っている子供にもその言葉を発する理由がちゃんとあるのですよね・・・。

親だと、どうしても「言われた子」の気持ちばかり重く考えてしまう傾向があり・・・。

どの子の気持ちにも向き合うための時間は大切で、だからこそ難しいのですね。

迷いながら(実はこれが大切ですね)も、まっすぐ向き合ってくださる先生方がいらっしゃる事、とても力になります!。
がんばってください。
PS:大変ためになることが多いブログでいつも勉強させていただいてます。ありがとうございます。

投稿: tom | 2011年2月14日 (月) 09時07分

こちらこそ、ありがとうございます。
これからも親ごさんとしてのご意見を聴かせていただけたらとてもうれしいです。
よろしくお願いしますねww

投稿: BOGEY | 2011年2月14日 (月) 18時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/502259/50846802

この記事へのトラックバック一覧です: 「大なわとび」と「共生教育」:

« ポルトガル語のお勉強 | トップページ | おたより帳 »