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振り分け、切り捨てるための検査になってはいないか?

何らかの課題を抱えた子どもがいた場合に、

「心理職・専門家」と呼ばれる人間が、保護者に検査を勧め、実施し、
FIQなんていう数字が基準以下だから、即「転籍」を勧める・・・
このような乱暴なことが、なんだか最近増えているような気がしてならないのです。

「心理職・専門家」という肩書でできることはそれだけではないはずです。
検査の結果から、これからの「具体的な支援」を導き出さなければ意味がないと思うのです。

親ごさんにも、担任にも、
「この子のいいところはこんなところです」
「こうやったらうまくいきますよ」
「こんな風に、いいところを伸ばしましょう」
とアドバイスできる人が「心理職・専門家」と名乗れる人なのだと思います。

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コメント

 専門家という信頼感と難しさを今通級指導教室教諭をやっていて、通常級の「先生」より感じています。
 教師、先生と言うのも・・「先生がいう事だから」「学校がいう事なので」という信頼と「そういうモノ」という一歩引くような『あきらめ感』があると思います。そこに 臨床心理士さんとか医師、ST 等々の専門色を強く醸し出す方々が専門用語で 専門理論で統計的学的な『数値』を持って説明された場合
信頼すると言うより、信じざるを得ない気持ちと状況になりがちと思います。・・時に親御さんがそれで 追い込められている感じがします。教師もそうですが・・専門性が持つ『危険性』と『優位性』を自覚しそれが絶対的では無い、生きているその子や人間・その他森羅万象の「今・現在ある姿」のある見方からした一面であると言う範疇を常に意識してなければと考えます。その子の 行動・行為・言動・しぐさ、表情こそ一番の情報であろうことは異論がないのではありませんか?『具体的な支援』の処に「・・いいところは・・」と並んでいたのがとてもとても嬉しく読ませて頂きました。ありがとうございました。

投稿: 赤根 修 | 2014年1月25日 (土) 19時15分

赤根先生
こちらこそコメントありがとうございました。
私も、親ごさんが追いつめられていることが多いとよく感じることがあります。
「専門性が持つ『危険性』と『優位性』を自覚しそれが絶対的では無い、生きているその子や人間・その他森羅万象の「今・現在ある姿」のある見方からした一面であると言う範疇を常に意識してなければと考えます。」
本当におっしゃる通りだと思います。
そして、今ある子どもの姿を「伸び続けて行く」途中の姿としてとらえることも大切だと思っています。

投稿: BOGEY | 2014年1月28日 (火) 20時37分

コメントを頂き ありがとうございます。本当に子どもの「伸び行く姿」には感動を覚えます。

 そして、たとえ伸び行かなくとも「かけがえのないその子・その人が【自分自身】を生き抜き続けている姿」に触れて・・いいなぁ、すごいなぁ、やるなぁ・・さて、自分はどうかなぁ?と考えてしまうのです。

投稿: 赤根 修 | 2014年2月 8日 (土) 19時25分

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