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とりあず、自らの「愛着形成」を振り帰ってみること

岡田尊司著「発達障害と呼ばないで」(幻冬舎新書)を読みました。

「愛着障害」については、「発達障害」と共にずっと関心を持ってきたキーワードです。

「発達よりも愛着が幸福を左右する」(P92)の見出しに、大いに賛同するのです。

子どもたちの「今の姿」を高いモーメントから「見立て」をするのではなく、自らの「愛着形成」を振り返りながら、子どもの「それ」に寄り添うことができるのか・・・
そこが一番の「支援のスタート」だと思うのです。

本書の内容については読んでいただくのが一番なので要約は省きますが、読後、何よりも自分自身を分析できなければ、「支援」の立場にはまず立てないと思ったのです。

とても私的なことですが、私は年長の年まではきっと誰にも負けないぐらい幸せだったのだと思うのです。その次の年、4才上の兄が白血病の発病し、亡くなるまでの3年とその後の父との別れ・・・
それからの気丈な母の「愛情」が、今の私の「愛着形成」だったと思うのです。

小学1年生の時に50円玉を握って即席ラーメンを1人で買いに行って食べたことも、
兄が亡くなってから、「天才気質」の兄と比べることもなく「不出来」な弟を精一杯愛して女手一つで育ててくれた母がいたことが・・・

これまでの巡回訪問で、母親支援が決定的な解決策になるケースは山ほど経験してきました。

「愛着形成」が「できない親」と、「してもらえない子」への「支援」は高いところからではなく、同じ「幸福や不幸」体験からスタートしたほうがいいのだと思うのでした。

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